恋降る、星降る
かさかさと右手にぶら下げた紙袋が音をたてている。
黙々と歩く銀時の脚に擦れる度、乾いた音が重なる。
冬の薄い空と地上との境目が淡い茜色に染まりかけて、夕暮れにはまだ早いというのにあちこちにイルミネーションが点灯しはじめていた。街路樹を覆う金色の光や順番に点滅する赤や緑の光の下、どこかへ向かって急ぐ人、店頭のディスプレイを楽しむ人、灯りそのものを楽しむ人。浮き浮きと、楽しそうな表情の人、人、人で街は溢れ、その浮かれ気味の気分を更に盛り上げるように音楽が鳴り騒めく。
それもすっかり耳について、食傷気味の銀時は大股で歩きながら公園の出入り口の時計塔を確認した。
ケーキ販売を請け負っていた万事屋の面々は朝から商店街のアーケードの下で声をからしてケーキを売った。
ことに銀時は常にない熱心さでケーキを売り捌き、早々に完売にこぎつけた。日をまたぎ、鮮度が落ち、クリームも果物も乾き気味の売れ残った商品を割り引き価格で叩き売ることもなく、見事に定価で完売した店主は上機嫌だった。これ以上ない満面の笑みを浮かべて銀時に報酬を手渡した。ついでに小振りのケーキを万事屋の面々に一つずつ手渡してもくれた。
去年はこたつに潜り込んでしょぼくれた夜を過ごしたが、今年は3人それぞれに用がある。
銀時は神楽と新八と別れて駅に向かった。
確かめた時刻は4時半少し前。
遅刻だけはシャレになんねえと気合を入れてケーキを売った甲斐があった。
___まだ、余裕だな
誰にとも言わず呟いて、目指す駅へと視線を向ける。
___?
待ち合わせ場所の○×駅南改札口。赤レンガの壁の前で白いローブとベレー帽を身につけた一団が長机の上においたベルを代わる代わる鳴らして演奏をしている。季節柄、時々、目にする見知った風景に少しだけ違和感を覚えた。
通りすがりの、決してその演奏を聴きにきたのではないだろう通行人が数組、その一団を取り囲んでいる。
腕を絡ませ、お互いの顔をくっつけてすっかり自分達の世界にひたっているカップル。父親に肩車された小さい女の子。物見高そうなおばさんの一群。品の良い老夫婦。聴く気があるのないのか分からないJK達。一定の距離をおいて奏者を取り囲むその中にちらりと見覚えのある後姿。
ベルを置いた長机から1メートルもない距離に立つ女。
___え?
珊瑚色の羽織の下に覗く着物の紅葉柄とブーツが訴える既視感。
___まさか、まだ30分もあるぜ
銀時はぽりぽりと頭をかきながら、その女の横顔を確かめられるところまでゆっくりと移動した。
___月詠
・・・だった。
赤い房飾りのついたくないの簪を金髪にさしたその女は、ハンドベルの演奏を瞬きもせず見ている。
一曲演奏し終わると、周りの聴衆の拍手にびくっと肩をそびやかし、辺りをきょろきょろと見渡して、気付かされたように自分も拍手を送り、奏者達がお辞儀をすると、律儀にお辞儀を返している。
お辞儀を返された奏者も間近で凝視されていることに戸惑い気味なのが遠目でわかる。次の曲が始まっても月詠はその場から離れる様子はない。それどころか、いよいよ興味を深くしているようで、澄んだ音を響かせる小さな鐘の軌跡を目で追い続けている。
___あ~あ・・・
銀時は思わず苦笑した。
___あんなにガン見されてちゃやりにくいだろうよ
熱心に耳を傾けてくれる聴衆の存在は嬉しいに違いない。だが、ああまで食い入るように見られては逆にやりにくいのではないか。
月詠の熱い視線は赤く発光する光線銃のようで、それをあびる奏者が気の毒に思えるほどだ。
銀時は月詠に声をかけようと一歩進み出た。が、折角、月詠が興味津々で見入っているのを邪魔するのも野暮だ。
奏者は気の毒ではある、けれど、熱心に聴き入る月詠に水を指したくもない。
両手を握りしめて直立不動で聴き入る姿は月詠の生真面目な性格そのもの。目をきらきらさせて、始めて目に、耳にする光景に感動しているのが手に取るようにわかる。まるで宝物でも見つけたかのような表情は父親に肩車された小さい女の子と変わらない。
銀時の苦笑が優しい笑みに変わる。
銀時は背後の時計塔をちらりと確認してしばらく静観を決め込んだ。
演奏曲は次々変わる。お定まりの曲。聴衆が飽きないように売れ線狙いのポップな曲も織り交ぜて続く。
月詠は曲が変わる度、頬を紅潮させ、手が痛くなるんじゃないかと思うほどの盛大な拍手を送り、お辞儀を繰り返す。
背をまっすぐ伸ばした綺麗な動作に
___流石に綺麗なお辞儀をしやがる
と、見ていると、ふと、月詠から数歩離れた場所に群がっているJKたちに目が留まった。
真剣そのものでハンドベルの演奏を見つめる月詠がおかしいのかJKたちは、無遠慮に月詠を指差し、何事か喋りながら笑っている。よくよく聴衆たちを観察してみると、演奏を真面目に聴いているのは月詠と老夫婦、親子連れぐらいなもので、他は月詠を物珍しそうに見ているだけだ。
JKやおばさんたちの月詠に向ける好奇の眼差しに銀時の腹の底にのちりっと炎がたった。
曲が終わるのも待たずずかずかと聴衆の輪に分け行って、月詠の左腕を無言で掴む。
すると月詠は一瞬で手刀を構えた。どんなに集中していてもとっさに戦闘態勢に切り替わるところが百華の頭たるゆえんだ。スッと右足を引き、腰を落とした月詠の目が次の瞬間銀時を捉えて見開いた。
「銀時?」
しっ、と口の前に人差し指をたてて、月詠の声を制する。掴んだ腕にゆっくり力を込めて月詠の体を引き寄せる。耳元で行くぞ、と言えば、殺気を帯びて見開いた眼の緊張が溶け、残念そうに目を瞬かせた。
陰る瞳に、銀時の胸がちくりと痛む。少々かわいそうな気もするが、これ以上、無遠慮で無神経な好奇の目に月詠をさらしたくない。
___てめえらみたいな世間擦れとは違うんだよ、この女は
振り向きざまに、吐き捨てるような気持ちで月詠を笑っていたJKやおばさん達を睨み付ける。
おばさんたちはこそこそと逃げるようにその場を立ち去っていったが、JKたちは肩を竦めて舌を出し、逆に何だよと悪態をついた。
___てめえらみてぇのを恥知らずっつんだ
ぎろり、と念を押すようにもうひと睨みして、銀時は月詠をその群れから引き離す。
そんなやりとりの間も演奏は続く。名残惜しいのか、月詠を引く銀時の腕に時々、抵抗が伝わる。銀時はおかまいなしに月詠の腕を引っ張り、一刻も早くそこから遠ざかりたいと言わんばかりに早足で歩いた。
「銀時、どこへ行くんじゃ?銀時」
闇雲に腕を引っ張られて、月詠はつんのめるようにして銀時についていく。
銀時は月詠を振り返ることもなく、他の歩行者とぶつかりそうになるのもお構いなしにと大股でどんどん歩く。
「銀時!」
たまりかねた月詠は大声で彼を呼ばわり捕まれた腕を振りほどいて立ち止まった。
「・・・」
戸惑う月詠の視線を背中に感じる。
戸惑って、焦って、少し寂しそうに銀時の広い背中を見ているのだろう。
月詠の真っ直ぐな視線が背中に突き刺さる。銀時は強張る背中をくるりと翻し月詠に向き直る。
月詠は息を切らし気味に少し剣のある眼で銀時を見据えてくる。なんなんじゃ、と眼差しで問いかける。
銀時の腹の底はまだちりちりと音を立てている。不機嫌そうに黙ったまま月詠を見つめ返すと、月詠はうっと息をのみ視線を泳がせた。
「・・・あの・・・、えと。待ち合わせ場所を間違えていたか?もしかして探させてしまったでありんすか。時間を違えたか?」
意外な言葉に銀時が目を見開いた。
___そうじゃねえよ、ばかやろ
月詠を誘ってから、毎日、浮かれて過ごした。
早めに待ち合わせ場所に到着して月詠が姿を現すのを待とうと決めて、その風景を頭の中に描いた。
雑踏の中、待ち合わせ場所を、銀時を探しながら歩いてくるだろう月詠の姿を頭の中に描いて、それを遠くから見つける自分を想像した。
電車を降りる。
人だらけのホームで出口を探す。
改札を抜ける。
どんな顔をして、人混みの中に現れるだろう。
どんな表情で俺のことを探すだろう。
俺を見つけた時、あいつはどんな顔をするだろう。
いつも通り殺風景なままか。
それとも・・・
それを想像すると楽しかった。
新八や神楽のいない台所で、厠で、風呂場で、一人にやける自分がいささか気持ち悪くはあったが、楽しい気持ちは抑えられなかった。
ところが、見つけたのは熱心にハンドベルクワイアの演奏に聴き入る月詠だった。
予定通り早目に待ち合わせ場所に到着した銀時を待ち受けていたのは生涯で初めて耳にするだろう音楽に一身に聴き入る月詠だった。
思惑は外れたものの、それはそれで可愛かったし、楽しめた。
けれど、その後がよろしくない。月詠は気づいていないだろうが、見ず知らずの連中に月詠が笑われていたのがどうにも悔しくて、苛つく。
勝手に生まれた己の小さな怒りなど月詠には関係のないことだし、彼女にぶつけることじゃないと分かってはいる。彼女に知らせる必要もない。
けれど、一度熾った火は生半なことで消えそうもない。
苛立つままに眉根を寄せて無言で月詠を見下ろせば月詠はいつになく不安そうな眼差しで銀時を見上げてくる。
銀時は精一杯息を吸った。そして、長い時間をかけて吐き出して、ガチガチに固まった肩を漸く緩め月詠に問う。
「いつからここにいたの」
___おとんか俺はっ!
勝手に手を離して迷子になった子供をようやく見つけたような自分の口振りにあきれる。
「4時ぐらいについた・・・」
「約束の一時間も前じゃねぇか!」
驚いた銀時の大声に歩行者がぎょっと立ち止まる。
「慣れぬ土地ゆえ迷子になって遅れてはいかんと思って・・・」
月詠は目線をそらし、足元の石畳の目地をたどりながら照れ臭そうに告白した。
「迷子・・・」
泣く子も黙る死神太夫の口から「迷子」という単語を聞いて、銀時は思わず拳を口に当てて噴き出すのを堪えた。涙袋を膨らませ、俯いた月詠の顔をまじまじと眺める。
長い長い睫毛が紫水晶のように透明な瞳に影を落としている。
きゅっと噛み締めた甚三紅(じんざもみ)の唇が微かに震えている。
この女はそうだ。
時々、思いも寄らないところで、女自身も気づかないところで幼さを、ただただひたすらな純粋を露呈する。
それが銀時をほっとさせる。
なぜかは銀時には分からない。当の月詠も勿論そのことを知らない。だから、余計に揶揄いたくなるのも。
「そっかそっか、迷子にならずに一時間も前についちゃったのか、偉い子だね、月詠ちゃんは」
櫛目も美しく結い上げた前髪の、さらりとした手触りを楽しむように月詠の頭を撫でてやると、月詠はその手を払い除けた。
「バ、バカにするな!そういうぬしも早いではないか!」
「俺はあれだ、依頼が思ったより早く片付いちまったんだよ」
先についてお前を待っていたかった、などと口が裂けても言えない。だからもっともらしいことを言って、照れ隠しにガシガシと天パを掻く。
依頼と聞いた月詠は辺りを見回した。新八と神楽を探しているのは確かめるまでもない。
「神楽はそよちゃんちという名のお城でふたりだけの女子会、新八はお通ちゃんのライブだとよ」
二人の本日の予定を月詠に伝えると、そうか、それは楽しそうじゃな、と柔らかく微笑んだ。で、一人取り残されたからわっちを誘ったのか?と、柔らかい笑みを皮肉なそれにすり替える。
「ちげーよ!お前ね、かぶき町の銀さんなめるんじゃないよ。銀さんが一声かけりゃ女なぞさばききれねぇくらい集まるんだからね。酒池肉林、ハーレム!レッツパーリィーだからね!数多の女をさておいてお前を誘ってやったんだからありがたく思え」
「そうか・・・それはすまないことをしてしまったのぉ」
「イヤ、まあ、そう気にしなくてもいいけどよ」
銀時はあわてて取り繕ったが続く言葉にがっくりと項垂れた。
「楽しみにしとったじゃろう女たちに悪いことをした」
そう言うと、本当に申し訳なさそうに眉を寄せて俯いている。
きっとこの穴埋めには何が・・・等と考えてもいるのだろう。
吉原の番人、百華の頭、頭の中を占めるのは苦界に身を投じた女たちの幸せと安全。月詠の気遣いが女たち優先なのは当然。とは言え、銀時はなんだか物悲しい気持ちになった。
___まあ、そう来るだろうな・・・
相思相愛、お付き合い中のカップルならばもれなく焼きもちを焼くところ。けれど、残念なことにそういう間柄には程遠い。銀時がどこで誰と何をしようが月詠は与り知らぬこと。
___こいつにゃ、俺なんか見えちゃいねえ
銀時はがしがしと頭を掻き、月詠に気取られないように落胆の息を飲み下す。そして、腹の辺りで指を絡ませている月詠の両手を引きはがした。
「ほら、来いっ!」
「ど、どこへ?」
「バス停」
「バス?」
銀時の手が月詠の手を捉える。
大きな左手が小さな右手をすっぽり包む。銀時はその冷たさに思わず足を止めて振り返った。
勢い余って手を取ったのは良いが、彼女の反応も気になった。
肩越しに見る月詠はバス?と少しだけ眉を寄せて物問いたげに銀時を見返していた。
「バスに乗って冬の遠足だ!」
銀時は握った手に力を込め、月詠を手繰り寄せると一言叫んで、さっき来た道をバス停に向かって歩き出した。