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                                     恋降る、星降る

車内アナウンスが終わると同時にプシューっと空気が抜ける音がして扉が閉まり、バスはゆっくりと走り出した。
車内は買い物帰りの乗客でほぼ満員。公園の周辺をぐるりと一周して、住宅街を抜け、郊外へと向かうのが二人が乗ったバスのルートだ。

日暮れは街中のイルミネーションを一層煌めかせる。
眩しさが増した街の灯りが音もなく後方へ飛び去って行く。
鏡になった窓ガラスには色とりどりの光を目で追う月詠が写り込んでいた。
冷たく光るアルミの窓枠の中、黒いキャンバスに月詠が浮かぶ。
夜を纏った街並みとそこにきらめく大小様々な光。星屑のような光と月詠。
流星群の中に月詠が浮かんでいるように見える。

___映画みてえだ・・・

・・・などと柄にもないことを思う。
名画なんてものには縁がない。だけど、きっとこんな風に息も顰めて見入るようなシーンがそこにはあるんだろう。銀時はそんなことを考えながら窓ガラスに映る月詠を眺めた。



年末独特の渋滞の中、バスは停車と発車を繰り返しゆっくり進む。
車内では乗客たちの微かな話し声があちこちで響いていた。
「あっ!」
公園を半周したところで月詠が小さく声を上げた。
待ち合わせ場所の丁度反対側。公園南出口前。バスはそこで公園を散策しながら南出口に向かってくる乗客のために少し長く停車する。公園の南側は駅の改札に直結した北口と違い木々が立ち並びイルミネーションやデコレーションもない。深い暮明が光を飲み込もうと口を開けているようにも見える。
茫洋とした闇の中、葉っぱをすっかり落とした木々の根元や、人の顔の高さ辺りに青や黄色、オレンジ色の球形の光が点滅を繰り返しながら、ゆらゆらと揺れていた。
「銀時、あれはなんじゃ?」
「どれ?」
「森の中で色んな色が点いたり消えたりしている」
銀時は暗闇の中でぼんやりとした淡い光が点滅するそれを七面倒くせぇ名前のついた、人が近づいたり触ったりするだけででっかい風船の色が変わるイベントなんだと説明した。
「なんじゃその悪意全開の説明は・・・」
月詠は折角の幻想的な風景がぬしの説明で大ないしじゃ、とあきれ返る。
残念そうに眉尻を下げ、深く息をつく月詠に、けれど、銀時は彼女の反応などお構いなしに自分たちの周囲を改めた。



月詠が伸ばした指の先を目で追った時、視界の端に何かが引っ掛かった。
乗客はこの界隈の住人で、吉原やかぶき町の住人よりよっぽどまともなはず。だが、飛び交う視線が何かおかしい。駅前のJKたちのような悪意でもなければ敵意でもないが、胡乱な空気が漂っていた。

月詠にその謎の光源の説明した後、纏わりつく不快な空気の因を確認しようと車内を見回して、銀時の表情が強張った。
オタク自己申告の小太りメガネ、脂ぎったおっさん、枯れて何年も経つようなジジイ、頭の中はおっぱいでいっぱいなガキから、女連れの男。
乗り合わせた男という男の視線が月詠に注がれている。
なだらかな背中から尻の辺りまで値踏みするように見ている奴、ガラスに映った彼女の顔を口を開けてみている奴、遠慮がちにチラチラ見たり、舐め回すように見たり、あからさまに胸を凝視してスケベな笑いを顔に張り付かせている輩もいる。
当の月詠は自分がスケベ視線の集中砲火を浴びているということに気づいていない。と、いうより目の前の景色以外興味がない。・・・聞いただけでは想像がつかぬのお、などと、呟きながら首を傾げている。
「たしか、正月過ぎまでやってるから暇があったら行くか?」
七面倒くせぇだのなんだのと貶した割に、どさくさ紛れに次の予定を提案しつつ、銀時は車内の男たちを順番に睨みつけた。
オタクもジジイもおっさんも銀時に睨まれた途端一斉に視線を窓の外に移す。オタクに至っては銀時と目があった途端に青ざめ、降車の予定もなかっただろうにそそくさとステップを降りて行った。
銀時の二つ名など知りようもないが白夜叉の殺気に一般人が対抗できるはずもない。
睨み返す意気地もないくせにスケベ心だけはある。
___どいつもこいつも
月詠はきっと気にしないだろう。吉原の育ちじゃ、いちいち気にせぬと一蹴するだろう。けれど、こんな腰抜けどもの下卑た視線に月詠が晒されるのは許せなかった。

駅前といい、バスの中といい、意図せずして注目を集めるのは月詠のせいではない。寧ろ、ごくごく自然の成り行きだ。自分が通りすがりの男だとしてもきっと彼女に目が留まる。もしかしたら一目惚れするかもしれない。いや、既にしていると言っても過言ではない、と、そこまで思考が辿り着いて、
___冗談じゃねえっっっっっ!こんな連中に狙われてたまるか!
降って湧いたような焦燥感に掻き立てられ、銀時は乗り合わせた男どもに一通り最大級の殺気を飛ばした。その後、隣に立つ月詠にちらりと視線を移す。
誘い出したのは自分だ。
こんな厭らしい視線に彼女を晒す原因は自分だと、恐る恐る彼女の表情を確かめた。
月詠は、きれいじゃのお、楽しみじゃ、と立ち木の隙から放たれる淡い点滅を楽しんでいた。
___人の気も知らねえで・・・
自分の周りで繰り広げられている静かなバトルに全く気づいていない様子の彼女に、銀時はほっと胸を撫で下ろした。



待機時間も過ぎ運転手の発車合図と同時にバスは再び公園の回りを走り始めた。
公園の西出口で運転手がハンドルを左にきる。掴まるもののない吊革が網棚に当たって甲高い音をたてた。
駅前の繁華街から住宅地へとバスは進む。見慣れたかぶき町とも、勿論吉原とも趣の違う街並みを月詠はじっと見つめていた。
暫く走ると、また何かを見つけた月詠が袖を引き、窓の外を指差す。
「何?」
銀時は月詠の指が指し示すものを探すふりをして、彼女が握りしめる吊革を真ん中に、空いていた月詠の右側の吊革に手を伸ばした。丁度、月詠を背後から抱くような位置に立ち、彼女の右側の隙間に顔を出す。ああ、あれな・・・と、ビルの外壁に映像を映し出す技術の名前を教えてやると、ぷ・・・、と復唱しようとして詰まったまま、困った顔をした。
銀時の心臓が騒ぐ。
___無防備な顔、晒してんじゃねえ!コノヤロー!!!
右手を顎に当てて、戸惑い気味に動かす唇が色づきはじめた花びらのようだ。
___俺はそんなのを世間に晒したくて連れ出したんじゃねえ!少しは察しろ!
と、叫んだところできっと月詠には伝わらない。だから、端から彼女の顔が見えないように彼女の顔に重なるように前屈みになる。



銀時の胸に月詠の肩が当たる。
伸ばした銀時の左腕と吊り革を掴む月詠の左腕が重なる。
左頬に彼女のさらさらの髪と、暖房の効いた車内にいてもなかなか暖まらない冷えた耳朶の感触があった。
シャンプーなのか、石鹸なのか、それとも月詠自身から漂うのか、柔らかい良い香りもした。



駅前のあの一件から通りすがりの奴らの月詠を見る目が気に入らない。
異質なものを受け入れないのが世の常なのは銀時もうんざりするほど知っている。世間が定めた標準に遠く隔たる異質を、世間は時に攻撃し、時に拒絶し、排除し、時にはまるで玩具へのそれのような欲を露わにする。
彼女に注がれる無遠慮な視線、物欲しそうな不躾な眼はそれと何も変わらない。
「・・・」
横目で確かめた月詠の表情は銀時の気患いを微塵も感じとっていない様子だ。純粋に風景を楽しんでいるのか、困り顔のまま口元に穏やかな笑みを浮かべて窓の外を眺めている。

バスの窓に映る銀時の腕の中に囲われた月詠、柔らかく微笑む彼女の白い顔に安堵して、銀時は視線を窓に外に戻した。

___?
すると、そこにもう一人、女の顔を見つけた。その女は窓ガラスに映り込んだ銀時を食い入るように見ていた。そして、銀時と目が合った途端、そいつは銀時を誘うように笑いかけてきた。
___え?
女の左隣にはさっきまで物欲しそうに月詠を見ていた男が立っている。勘が働く銀時とは言え、状況が理解できなかった。目を見開いて、女の視線を確認しても、やはりその見当違いな目線は銀時自身に注がれている。
___え?俺?えええええ?いやいやいやいや、お前らカップルで乗ってんじゃねえの?デート中じゃねえの?これから聖夜ならぬ性夜にダイブじゃねえの!?

男と女が腕を絡ませている。
その場合、カップルと思うのが世間の常識だ。にもかかわらず男の目は月詠に釘付けだったし、女は女で銀時に色目を使ってくる。
隣の芝生は青い、というわけか。
月詠は男連れだなんて思っちゃいないだろうからともかくとして、彼女ほどの美女を連れている銀時に秋波を送る女の、身の程知らずと言うか、厚かましさに驚きが隠せない。これじゃあ、キャバクラやおかまバーでたった一人に入れ揚げている奴らの方がなんぼかましというものだ。

___俺の隣に立ってる別嬪目に入らない?こんな別嬪連れてる俺になんで色目使ってんの?こんな別嬪連れてて他の女に目移りすると思ってんの?ってかその自信はどこから来るの?この別嬪に勝てると思ってんの?こええよ、この女!
無視をするのは簡単だが、それも癪に触る。
自分自身も侮られているようだし、月詠が小馬鹿にされたようでもある。
___どいつもこいつも勘に触りゃあがる
銀時は、ガラスに浮かんだ女の顔に向かい、てめえなんぞ興味ねえと言わんばかりに鼻を膨らませて笑った。

「銀時?」
銀時の素振りに気付いたのか、月詠が怪訝な顔を彼に向けた。
真っ直ぐに銀時を見つめる紫紺の瞳は彼の隠した想いを写し取るほどに透明で美しい。
比べる自分もどうかと思うが別格の美しさだ。
この美貌なら日輪をしのぐ伝説の花魁になっていただろうことは間違いない。けれど、彼女は違う道を選んだ。選んだ道で太夫となった。命を賭して日輪を守る。その為だけに生きてきた彼女は、その生きざままでもが美しい。
一途で曇りのないその魂が、誰よりも何よりも美しい。

腕の中に囲いこまれたような体勢の月詠が銀時に顔を向け、銀時は他の女なぞ目に入らねえとばかりに彼女を見つめる。
バスの窓に映った二人の姿は、どこからどうみても、熱愛中のカップル。お互いしか目に入っていない恋人同士のように見えるだろう。
銀時に鼻であしらわれたさっきの女がその姿を睨みつけて、絡めた男の腕を忌々しそうに掴み直した。





耳障りな軋み音を立ててバスが止まる。
予期しない急停車の反動で立っていた乗客が一斉によろめいた。車内のあちこちで悲鳴が上がり、空いた座席に倒れ込むものもいた。
身体能力の高い二人はさほどでもないが、急にかかった縦Gは隣のカップルを情け容赦なく揺さぶった。
「・・・ってえ・・・っ!」
瞬間的に月詠の右側に回り込んだ銀時が背中で男の激突を受け止める。咄嗟に抱きとめた月詠の額が銀時の胸板に当たる。
車内アナウンスが道路を横切る影を確認しましたので、云々と告げている。
「銀時!?」
呻く銀時の顔を月詠が見上げてくる。
腕の中に月詠の心配そうな顔がある。背後では件の男がすみませんすみませんと謝っている。さっきの銀時の殺人目線が余程怖かったのだろう。縮みあがっているのが感覚で分かる。だが、隣のカップル擬きなどどうでもいい。銀時は顔を傾けて胸元の月詠の無事を確認した。
「大丈夫なのか?」
月詠の息がかかる。
抱きとめた時に背中に回された彼女の手に着物をきゅっと掴まれて、背中にびりびりと電気が走った。
「・・・な、なんともねえよ、お前は?」
「わっちは大丈夫じゃ。ありがとうな」
銀時も何ともないと確認して、緩む背中の手がちょっぴり寂しい。
「あぶねぇから、捕まってろ」
少し上擦った声で言うと、月詠は素直にそれに従い、銀時の背中を握り直した。

不可抗力で抱いた肩を離したくない。
できるなら両の腕でしっかり抱き締めたい。そうすることで他の男にはこいつには俺がいると、女にはつけ入る隙などないと、見せつけてやりたい。

___けどまあ、それをやったらくないの刑だな

それに、悲しいかな、実はそんな関係には程遠い。この先そうなるとも限らない。だから、今のところは、これぐらいで勘弁してやろう。なにせ、どさくさに紛れて肩を抱いてる女は色街育ちとはとても思えないおぼこちゃんだ。しかも、完全に銀時の一方通行。何となく本人以外には気づかれているような気はするが、月詠は気づくどころか、想定もしていない。・・・多分。

運転手が乗客に怪我人が出ていないことを確かめて、車外へ飛び出していった。
車体の下や歩道の脇の植え込みを懐中電灯で照らして見回っているらしい。細い光が時々、窓ガラスを照らす。月詠は外の様子が気になるのか開いたままのドアの方を見ている。
暫くして、外回りを点検し終わった運転手が運転席に戻って来た。車内の乗客に状況を知らせてエンジンをかけると、ゆっくり路肩から離れる。
「何事もなかったようじゃな」
ほっと安堵の息をつく月詠に頷く。

肩に回した手が感じる細さ。
背中に感じる手のあどけなさ。
時折、握り直しているのに口元が綻ぶ。

隣の女が銀時を睨み付けている。

てめぇなんかが百万遍生まれ変わったって敵わねえんだよ。

銀時は忌々しそうに彼を睨む女の視線を無視して、月詠の肩を抱き直した。そして、運転手に向けてこっそり親指を立てた。

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