top of page

恋、はじめました

                                         #7 lost in love

ザーーーーーーーッ

朝からシャワー浴びる。
入念にひげ剃って、手足のムダ毛も剃って、脇まで剃ろうとして、ふと我に返った。

___何をしようとしている、俺

ただ、今日こそ彼女の名前を聞こうと決意を固めただけなのに。朝からシャワー浴びるまではよしとして、なんでムダ毛の処理までしてる・・・。
舞い上がるにも程があると、シャワーを水に変えて、頭を冷やす。
シャツは昨夜のうちにスプレー糊してアイロンをかけ直した。ズボンもプレスし直した。
靴も磨いた。
見慣れないピカピカに光る靴をしげしげと眺める・・・俺って意外と乙女ちゃんなんだな、と。
玄関にカギをかけて、その手で好きでもないミントキャンディーを口に放り込んだ。口の中がすーすーする、世の中のミント好きは何でこんなすーすーするもんが好きなんだか。そういえばミントチョコなんて、甘いんだかすーすーするんだかわからねえ代物が世の中にはあるらしい。甘いだけで十分じゃねえか・・・、甘くてさらにすーすーしたいなんて、二兎を追う者は一兎をも得ず、だ。と、訳の分からない御託を並べてる間に駅に着いた。改札手前で大きく深呼吸をする。まるで、決戦に向かう戦士のように。

改札を抜ける。いつもの電車に乗る。一駅、二駅・・・。彼女が乗る駅のホームに減速しながら電車が滑り込む。
さあ、いよいよだ・・・。
プシューッ
・・・!?
その音を合図のように、開口部に現れる彼女の姿が・・・
・・・ない!!!
ドクンッ
心臓が跳ねる。
今日はたまたま列の先頭に並べなかっただけなのかもしれない。
そう思って、目を凝らしてみるが、ぞろぞろと乗り込んでくる乗客の中に彼女の姿を見止められない。
『なんだ、なにがあった?』
体調でも悪いのだろうか。仕事の関係で乗る電車を一本早めたとか、遅くしたとか・・・。
ドクンッドクンッ
心臓の音がうるさい。
まるで耳の中に心臓があるみたいにその音だけがうるさく鳴り響く。
何が起こっているのか目の前の光景を理解できない。処理能力が追い付かない。
なんだ?なんで、いない?なにがあったんだ・・・
彼女を見つけてから毎日、そこにはずっと彼女がいて、いつからか俺の隣に彼女はいた。
それはゆるぎない、この先もずっと続く光景だと、何の根拠もなく勝手にそう思い込んでいた自分に今はじめて気がついた。

___名前も知らないのに



___翌日、

彼女はやはりいつもの電車に乗らなかった。その翌日も、そのまた翌日も。
『俺、なんかしたか?』
もしかして、知らずに彼女が嫌がる発言でもしてたのか?
『ならそうと言えばいいのに。』

日が経つうちにいろんな考えが頭の中をぐるぐる回り始める。
酷く体調を崩しているのか、どこか別の職場に異動になったとか、・・・長期の出張も考えられる。
・・・寿退社。
いや、それはない。
寿退社間近の女が電車内で出会ったどこの馬の骨ともわからない男と毎日会話をするはずがない。
それはない。
・・・それは、ない・・・、・・・と・・・、思いたい・・・。

ガラスに映るのは蒼白い間抜けな顔。
殴りつけたい衝動をじっと堪える。

もっと早くに、きちんと名前と連絡先を聞いておけば・・・。
心臓がチクチク痛む。

「いってえ・・・」

「・・・あなた、大丈夫?」
左胸をシャツの上から掴んで、零した言葉に一人の女性が反応した。
彼女が座っていた座席に座る女性。
怪訝な顔でそっちを向くと、
「顔色が悪いわ。座りなさいな・・・」
と言って席を譲ってくれようとするから、大丈夫、と丁寧に断った。
けど、痛みは引かねえ。

チクチク、チクチク。

バカな男を嘲るように何かが俺の心臓を針で突っつく。
不甲斐なさしかない自分が情けねえがどうしようもねえ。
『ちくしょう・・・』
ガラスに映った間抜け顔が泣きそうだ。
泣いたところでどうにもならねえ。
泣きそうなぐらいショックなんだと、今更気づく、つくづく鈍感な自分に腹が立つ。

『ちくしょう・・・』

誰にも聞こえないように、もう一度舌打ちをした。





to be continued...

 

ブラウザのバックボタンで戻ってください。

bottom of page