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いつかの彼方

___一本つけてくんねぇか

唐突に現れた男は部屋の入り口につっ立ったまま、月詠に向かってそう言った。







「ふうっ・・・」

月詠が自室に戻ったのは、再び開いた地下都市の天井に大きな月が煌々と輝く頃。
急かされるようにこの街を後にしたのが、遠い昔の事のようで、踏みしめた畳の感触がひどく懐かしい。
この先、どうなるかは分からないが、熾烈を極めた戦闘は終わった。
江戸の惨状に後ろ髪をひかれながら、吉原に戻った月詠を待っていたのは仕事の山。
地上と地下の被害の把握、避難してきた住民の帰宅の可否、戦闘で負傷したものの受け入れ、治療などなど、すべきことが死ぬほどあって、吉原に戻ってからというもの文字通り息をつく暇もなく立ち働き、いかな月詠と言えど脚が棒のようだ。
ワーカーホリック気味の月詠は疲労というものを意識したことがない。自分の事は二の次三の次の性格の上に、戦闘突入前からピークをとっくに過ぎた緊張感が手伝って、今の今まで無意識に動いていた。
自室に戻れば、張りつめていた気も緩む。緊張が解けると同時に、今まで無意識に黙殺していた疲れが一気に月詠を襲う。月詠は煙草盆に両手をつくと細く長く息を吐く。伸びきった腱がぱきぱきと音を立てるような感覚に苛まれながらゆっくりと膝を折り、一服しようと袂の煙管を探った。

その時、音もなく襖が開いて銀時が現れた。神妙な面持ちでほの暗い廊下に立つ銀時はいつもの月詠を揶揄う挨拶も抜きで、一本つけろと言ってきた。いつの間にひのやの二階に上がって来たのか、気配に敏いはずの自分が全く気づかないほど静かだった。
敷居の向こうにぼんやり浮かぶ姿は実体のない白い影のようで、薄い闇にすら掻き消えてしまいそうに弱々しい。廊下へ続く暗がりの中にはっきりしない輪郭のまま、銀時は襖にもたれている。剥き出しの利き手に巻かれた包帯や、肌蹴た胸元の絆創膏の白さばかりが目立っていた。
がちゃがちゃとうるさいはずの男が静まり返り、着流しの裾模様のように今にもどこかに流れていってしまいそうな不確さだけがそこにあった。

「・・・疲れてるところ、悪ぃんだけどよ・・・」

一瞬、銀時の薄い唇が何かをかたどろうとした。が、思い直したように噤んでしまう。変わりに示されるらしくない気遣い。
かすれ気味の細い声が銀時と月詠の間に落ちる。いつものようにずけずけと部屋に入り込むでもなく、そこに境界線があるかのように足を踏み入れない銀時の視線は何を捉えているのか曖昧で月詠が向けるそれと絡まない。
月詠は袂の中で掴んだ煙管を手放した。銀時に座布団を差し出し、待っておれとすれ違いざまに声をかけて、暗い廊下に姿を消した。





「あまりいい酒は残っておらなんだゆえ・・・」
適当に見繕った酒肴、徳利と盃を乗せた膳を手に月詠が部屋に戻ると、銀時は窓枠に腰掛け、窓の外に広がる吉原の景色を見ていた。吉原の灯りが白い髪を赤く変える。月詠と、彼女が手にした膳にちらりと一瞥をくらわすと、部屋を出る前、月詠が差し出した座布団の上にどっかと胡坐をかいた。
「すまねえな」
差し出す盃を受け取り、注ぎ終わるのが待てないとばかりに煽る。立て続けに盃を空にした銀時はふとその動きを止め、何事か考えるように両手で盃を弄びはじめた。
暫くの間、掌の中で転がしていた空の盃を何かを決意したように膳に戻すと、
「・・・万事屋、解散してきた。」
と、告げ、長い前髪のその隙間から月詠に視線を移した。
「そうか・・・」
「驚かねえんだな」
「驚いている・・・」
「そうは見えねえぜ」

感情表現が豊かとはお世辞にもいえないのは百も承知だ。百華の頭領なぞをしているものだから少々のことでは動じないのも。

人形のような綺麗な顔は生半可なことでは崩れない。

だが、吉原が解放され、地下と地上を行き来するようになって暫く経ったある時、挨拶がわりに殺風景だ、無愛想だと銀時が揶揄う硬い表情の中に、見落としそうな密やかさで柔らかい表情が浮かぶことに気がついた。
それに気付いてから、会う度、月詠の表情の中の細かい変化を見るのが楽しくなった。

誰も気づかない小さな変化

桜色の唇がほころぶのや、
群青の瞳が陽の光をはじくのや、
白磁の頬に血の色が上るのや___

一つ屋根の下で暮らす日輪や晴太も見落としそうな微かな変化を見つけるのが、盗み見るのが嬉しくもあった。そのわずかな変化に銀時の胸が躍った。
無愛想だ、殺風景だと揶揄うのも、月詠の反応を見るのが楽しかったから。
銀時が揶揄えば、百華を統べる身でありながら、吉原育ちでありながら、おぼこで世間知らずの月詠がむきになって自分に向かってくるのが面白くて。
感情表現が下手なのは月詠だけじゃないと、自嘲しつつ、それでも、月詠を前にすると、そんなことしか言えない自分も滑稽で。
ひのや一家と万事屋一家、穏やかな時間が流れていくのが心地よくもあって。
何かにつけて出会う度、その表情を見出しては、まるで宝物のように胸にしまい込む自分も。
いつしか、その笑顔が自分に向けられたら…と、想像して。

万事屋の格子戸の向こうに浮かぶ月を一人で眺める時、その視線の先には胸の内で育てた月詠の笑顔が浮かんでいた。

そして、あの吉原中がとち狂った乱痴気騒ぎが鎮まった後、大楼の階から街を眺めながら愚痴る銀時に、月詠はとびっきりの笑顔とくすぐったくなるような言葉をくれた。
だから、万事屋解散を告げるとしたら月詠がどんな顔をするか、勝手に想像を働かせた。月詠が望んだそれを放り投げる銀時にどんな表情を返すのか。





月詠の反応はある意味、銀時の想像通り過ぎた。嫌味なほどに整った、誰もが見惚れる月詠の顔を、盃を手にしたまま銀時はじっと見つめた。

「・・・ふんっ・・・」

聞こえよがしに不満そうに息を吐いても、『万事屋解散』を意に介する様子もなく月詠は静かに酒を注ぐ。

___そんなもんかよ

と、喚きたくなるのを酒で吞み下す。
動揺しろとか、悲しめとか、そんな事を望むつもりはない。それでもあまりに薄い反応に胸の奥がささくれる。
万事屋解散が万事屋以外の人間には何の影響もないと言われているようで気持ちがざわつく。

___自惚れていただけなのかもな

吉原を見下ろしながら月詠が口にした幸せはささやかなものだった。月詠がそれでいいと言うのなら、それ以上も以下もないと鷹揚に構えて、臆病と甘えたを道連れに、のらりくらりと牛歩の遠回りを決め込んだ。吉原以外、彼女の居場所はない。どこへも、どこの誰の元へも行かないとタカをくくった。

今、銀時の中で燻る説明のつかない苛立ちを月詠に向けるのはお門違いだろう。万事屋解散の事は伝えた。だが、伝えたかったのはそれだけではない。その伝えたかったもう一つが思うように喉元を通り過ぎて来てくれないこと、そういう時に限って月詠の察しの良さが発揮されないことへの苛立たしさだけがどうしようもなく膨らんでいく。
それを察知したのか、
「神楽が寄ってくれんした」
銀時の顔色を伺うようにちらりと視線を投げてから、月詠はぽつりと呟いた。

地球から旅立つ神楽が吉原に立ち寄った。月詠には特になついていた神楽。よくよく考えなくても、その神楽が月詠に何も告げず地球を去るはずがなかった。
それならば月詠のこの反応も合点が行く。迂闊、というより、万事屋解散にいっぱいいっぱいになっていたのは誰あろうそれを決めた銀時だった。

___ざまぁねェ

自分自身の余裕のなさを嗤う。それすら自覚せず、月詠の反応にイラつくバカな自分を。それでもやはり、銀時自ら告げた万事屋のこれからを冷めた表情で受け止められるのは落胆よりも苛立ちが勝る。
「なるほど・・・それで太夫様はなにもかも承知ってわけかい」
口の端を吊り上げて、ひねくれた言葉を吐き出しながら、腹の底で蠢く何かの頭を抑えつけるように盃を手に取り、乱暴に月詠に差し出す。
「なにもかも承知できるほどできた人間ではないわ」
月詠は静かに徳利を傾けつつ、そう返した。
何を言えば、何を返せば、お互いの心の中を相手に伝えられるのか。わからないまま、徳利と盃を傾ける動作を繰り返す。

「・・・あいつ、おめえのことは特別気に入ってたからな」

漸く銀時が発したのはそんな言葉だった。

『ツッキー、大好きアル!』

月詠を大好きだと、ストレートに口にしながら、彼女の豊満な胸に飛び込む神楽と直球過ぎる神楽の愛情表現をはにかみながら受け止める月詠の姿が目に浮かぶ。銀時には決してできないことを何の気負いも衒いもなくできる神楽の子供らしい真っ直ぐさに一種の羨望を感じながら、仲の良い、少し年の離れた美人姉妹のような二人が話す光景を頭の中に描いた。
どの程度神楽が話したかわからないが月詠のことだ、おおよそ察しはついているだろう。だからこその彼女のこの反応なのだろう。そう思うと、銀時は一人でピリピリしていたことがバカバカしくなってきた。

___情けねェな、俺は・・・

事ここに至っても、何一つ、伝えたいことをきちんと伝えないまま、一人で苛立つ自分が情けない。月詠の懐の深さに甘えて、ぬるま湯につかってふやけたまま、何も伝えず、感情の欠片だけをぶつけている、子供は子供でもひねたガキの自分が。
銀時は盛大にため息をついて、両手で頭をガシガシと掻いて、ちらりと月詠を見た。

___やっぱりうまくいかねェ

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