虜
「・・・では、ここに百華を2名・・・」
「そうだな」
ことりっ
辺りを憚るような囁きと机にあたる固い音が銀時の耳を叩く。
「・・・ふあ~~~・・・」
頭を掻きながらむくりと起き上がって、気の抜けたあくびを放つ。座敷の真ん中に目をやると机からはみ出しそうな図を広げて、月詠と真選組副長が密談を続けていた。
「わっちの直近の部下を配備しよう。百華一、二を争う手練れだ」
月詠は銀時に背を向けているのでその顔は拝めないが、部下を誇っていることは声で分かる。
「そうしてくれると助かる」
月詠同様、常に煙を吐き出している男は脇に置いた灰皿に煙草を押し付けながらそう言うと、ちらりと銀時に視線を投げてよこした。それを感じ取ったのか、衣擦れの音とともに月詠が銀時を振り返る。
「起きなんしたか」
そう言うと、畳の上の盆に手を伸ばし、湯呑に茶を注いで銀時の方へ押し出した。
「お、サンキュ」
湯呑を受け取る際、月詠と目が合ったが、変わった様子は微塵もない。紫の透き通る瞳は銀時が目覚めたことを確認するようにじっと見つめるが、微笑むでも、言葉をかけるでもない。
時間にしたら数秒、黙って銀時の様子を眺め、月詠はさっさと背を向け、机に向き直ってしまった。
*
地上で天人由来の怪しげな薬物が出回っている。捕えても捕えても鼬ごっこで根絶やしには至らず、真選組はじめ見廻組、警察幹部も臍を噛む日が続いていた。ある日、目をつけていた組織に繋がる犯罪集団が大きな取引を画策しているという情報を掴み、大捕り物へと警察全体が勇み立った。この捕物がうまくいけば諸悪の根源、一大犯罪組織を潰すことも可能だ。このチャンスをモノにするため、慎重に、入念にさらに細かい情報を拾い集めていくうち、その取引の場所と日時を入手する。そこまでは良かった。が、山崎が会議でその内容を報告した途端、屯所内は陰鬱な空気に乗っ取られた。
吉原の遊郭・蒼井楼 某月某日 夜半より
___あいつが黙っちゃいねえ
う~ん、と唸ったきり、天を仰ぎ、腕を組む近藤。憎々しげに煙草を灰皿に押し付ける土方。余程のことでないと動じない沖田まで一点を見つめて黙り込む。山崎はただ3人の顔を交互に見るだけだった。
「まず、百華の頭領にこのことを伝えるのが先決だ。」
土方の一言で事は動き始めた。先遣は沖田。警察組織から吉原自警団に協力要請したい旨を伝え、日を改めて局長、副長が協力要請に出向いてくる、その際、銀時を呼んでおいてくれとだけ伝えた。当然、月詠は銀時を呼ぶほどの厄介ごとなのかと尋ねる。沖田は口ごもりつつ、いや、そうじゃないんでさあ、
「詳しい話は近藤さんと土方のアホがしますんで。ただ、此処を巻き込むとなると旦那の耳に入れておかないわけにはいかねえとの上の判断なんでさあ。」
とだけ言って去っていった。
月詠は沖田に告げられたままのことを銀時に伝えた。
警察から協力要請された案件がある。その打ち合わせに近藤、土方が吉原を訪れる。
「その場にぬしも同席してほしいとのことじゃ」
そのことに何の疑問も抱かないのか、あっさりと事務連絡のように伝える月詠に銀時は呆れた。
「お前ねえ、それどういうことかわかって言ってんの?」
「吉原が犯罪の片棒を担いでいると言うのなら、協力しないわけにはいかぬ。鈴蘭の件では世話にもなったし」
結論に辿り着くまでの言い合いをすべて端折った月詠の言葉に銀時はうっと息をのむ。
「ぬしを呼んでおいてくれと言うほどの捕り物なんじゃろう。詳しくは聞いてみないと分からぬ。気が進まぬのなら、そう伝えて・・・」
「誰が行かねえって言ったよ。行きゃあいいんだろ?行きゃあ…」
真選組に使われるような気分で、気乗りはしないが、吉原、月詠が巻き込まれる事態に傍観を決め込めるはずがない。
壁のカレンダーを忌々しくにらみ、銀時は電話を切った。
*
「ぬしは聞かぬのか」
本格的な作戦の練り合わせは土方と月詠ですることになり、土方だけを残して近藤と沖田は立ち去った。
土方は屯所から持参した現場界隈の拡大図、吉原全体の見取り図を机の上に広げ、月詠はじっとそれを見つめる。ところが、銀時は打ち合わせに参加どころか月詠の背後にごろんと横になった。
月詠は振り返って、銀時にそう声をかけた。少し頭をもたげて月詠の顔を見ると、何とも複雑な表情をして銀時を見ている。
頼れ、縋れと言っても、一人で背負おうとする女が珍しいと思ったが、月詠の隣で平然と図面を睨みつけている土方の横顔が小憎たらしくて、少々の意地悪心が働いた。
「俺は作戦の主軸じゃねえだろ?いざという時の保険みたいなもんだ。不測の事態は起きねえに越したことはねえ。もし、起きたらそん時はそん時で臨機応変に動くさ」
と、目を閉じたまま、一気にまくし立てた。
月詠はしばらく黙っていた。おそらく、銀時が目を開けるのを待っていたのだろう。けれど、そうか・・・、と小さく返事をして、あっさり背を向けた。
一緒に聞いてくれ・・・、などど、月詠が言うはずはないのだが、少しは期待したのに、と、つれない女の背中を睨む。
『・・・っちっ』
聞こえないように小さく舌打ちをして、銀時は打ち合わせる二人に背を向け、襖に向かって寝返りを打った。
「念の為、ここと・・・それからここも抑えておいた方が良いと思う」
「わかった。百華から一人出してもらえるか。うちからも一人向かわせる」
「承知しんした」
冷めきって、出過ぎた茶を飲み干して、二人の会話を聞くともなしに聞く。まるで何年も時を共有した戦友のように、月詠と土方の会話は卒がない。お互いの頭の中にある戦術が理解できているのか、すこぶるスムーズに捕縛作戦が練り上げられていく。
『ふん』
月詠は時々、内容を確認するように図面から目を離して土方の顔を見る。それとタイミングを合わせたように土方も月詠の顔を見て頷く。
銀時がキレーなツラだと表したその顔を間近で見ても平然と仕事に集中できる土方が小面憎い。地上を歩けば、老若男女が振り返る、伝説の花魁にも劣らぬ美貌だ。
薄暗いひのやの座敷に美女を隣に堂々と座る色男。背後に豪華な屏風でも背負えばさぞかし絵になるだろう。
『・・・けっ』
面白くない。だから、また横になろうとした銀時の耳に百華の部下が月詠を呼ばわる声が聞こえた。その様子から厄介ごとだと察した銀時は曲げかけた肘をぐいっと伸ばした。
「なんじゃ、騒がしい。土方殿が来ておられるのじゃぞ」
騒ぐ部下を叱咤する月詠の声。
『・・・土方殿、ねぇ』
月詠は基本誰でも呼び捨てなのだが、警察機構の人間には気を使うらしい。
「すみません」
「土方様、お騒がせして申し訳ありません。墨屋で客が暴れて、百華で取り押さえようとしたのですが少々てこずってしまって・・・」
要は部下だけでは力及ばず、慌てて月詠を呼びに来た、とそういうわけだ。
土方が刀を手に立ち上がろうとする。
「待ちなんし」
「・・・」
「警察が吉原に在中しているように見られてはまずかろう。どこに一味の目があるかわからぬゆえ」
「・・・あ、ああ、そうだな」
『カッコつけが。ざまぁ・・・』
土方は女の前でカッコをつけるような男でないのだが、面白くない銀時の気持ちがどこかで土方を貶めようとする。
「少々席をはずすが・・・」
月詠がそう言いながら銀時を振り返る。
『土方殿の相手を頼む』
と、紫の目が言っている。
『・・・は?』
銀時は普段は空いてるかどうかも分からない虚ろな眼をかっ開いて月詠を睨み返した。だが、銀時が睨んだぐらいで怯む月詠でもない。にべもなくきびすを返すと何も言わずに廊下に姿を消した。
「「おいっ」」
及び腰で座敷内の男二人の動きが止まる。置いてきぼりを食らった犬のように月詠に追い縋る姿勢で固まったお互いの顔を見あわせて、どちらからともなく「うっ」と押し殺した声が漏れた。
取り残された男二人は一つ咳払いをして、畳の上にどっかと尻を下ろした。
*
こつ、こつこつこつ
銀時の爪が机にあたる音が響く。
肺一杯に吸い込んだ煙を細く吐き出しながら土方はちらりと銀時の様子を伺った。
イラつく様子を隠そうともせず、指で机を叩きながら、膝頭は小刻みに揺れている。
「気になるか?」
土方が水を向けると、長い前髪の下で赤い瞳がゆらりと揺れた。
「別に。あいつは強えから」
素っ気なくそう答え、庭に視線を戻す。
強い女。
百華を統べる女。
吉原を守る女。
分かっていても、案じる心は隠せていない。
沖田が驚くのもわかる。
万事屋などという仕事をしている都合上、関った者は数知れない。だが、深く交わろうとはしない。どこか壁を崩さない。厚みも高さも測れないような壁がこの男の周りを取り囲んでいる。更にはその壁の周囲を深い深い溝が取り巻いている。なのに周りの連中はその溝も壁も乗り越えて銀時の傍に在ろうとする。
そんな坂田銀時という男を構成する要素をすべてとっぱらって銀時は月詠と関わりを持っているように見える。
それが何を意味するか、誰に問わずとも自ずとわかる。
土方にちょっとした悪戯心が生まれる。その強固な壁を崩せまいか。崩せないまでも爪を立てることぐらいできないか、と、そう思った。
「いい女だな」
真選組の鬼の副長は男も震い付きたくなるようないい男だという噂は江戸中に広まっている。その癖、女には興味ないと言わんばかりに浮いた噂の一つもない堅物だとも。その理由を知っている銀時に対し、亡くした女を懐に抱き続ける不器用極まりない男が似つかわしくない笑みを口の端に浮かべる。
それが挑発だとわかるから銀時は余計にカチンと来た。が、あからさまな挑発に乗るのも馬鹿馬鹿しいと露わに態度にだして、ため息混じりに
「いい女だよ」
と答えた。
『君のような朴念仁にもわかるの?』
と言わんばかりに。
「・・・」
つまらなさそうに土方が黙る。さっきからのこの男の様子から想定した反応は返されず肩透かしを食らった落胆の色を隠そうともしない。
「何?」
「別に・・・」
百円ライターの石を擦る音が男二人の座敷に響いて、辺りに煙草の匂いが漂った。
「言っとくけど・・・」
「・・・」
ふっと煙を吐き出した土方の耳に銀時の低い声が響く。
「あいつは俺のもんだから」
随分、直接的に、あっさりと所有権を主張されて、土方のタバコを燻らす手が止まった。
「誰もなんも言ってねぇっ。つか、やっぱりそういう関係?流石、白夜叉殿は仕事が早いね。で、見た目通りのいい女かい?」
からかい気味にそう言うと銀時はあっさりと否定した。
「手は出してねえ」
「は?お前、今、俺の女っ・・・」
意味がわからない。この男は本音というものを持っているのかと疑うほどに己を明かさない。
だが、その男が“俺のもんだ”と、聞いてもいないのに主張するのだ。関係がどうだろうとやはり尋常ならざる感情を月詠に抱いていることは間違いないだろう。
狐につままれたような顔を隠そうともせず、銀時を呆けた目で見る土方に
「どさくさに乳とケツはもんだけどな」
と、銀時は笑いながら言い放った。
「最低だな、おい。で、それのどこがてめえの女だ。勝手にこじらせて独占欲だけ突っ走らせてるもてねー男の典型じゃねえか」
「わかんねえ?」
「わからんね」
「モテる割りに女心を知らないね。土方くん」
「なんかムカつく。じゃあ、てめぇは知ってんのかよ」
「知らね」
「ああ?」
___けど、あいつのことならわかる。他の女のことなんかどうでもいい、俺にはあいつで十分だ
と、土方の耳にはそう聞こえた。
「・・・はあ。まさか乳とケツもまれたぐれえで操立てしてるわけじゃあるめえ」
「それはねえよ。けど、あいつを守れる男は俺一人だ」
「そうか。大層な自信だな」
「自信なんかねえ」
「・・・ちょっと白夜叉殿。さっきから言ってることがめちゃくちゃだぜ?」
「めちゃくちゃで良いんだよ。そもそも世の中がめちゃくちゃだ。警察が色街の自警団に捜査協力要請してる時点でめちゃくちゃだ」
___言いたいことはそこか
土方はため息をついた。
たとえ犯罪現場だろうと、吉原を、月詠をこういう物騒な案件に巻き込むことを銀時が快く思わないことは言われるまでもなかった。
「ちげえねえ。まあ、百華は民間人だからな、警察としては民間人を捜査に巻き込むのは・・・って、そうじゃねえだろ!うまくもねえよ!」
銀時の言葉は好きに跳ねる銀髪のようで取り止めがない。
「・・・めちゃくちゃな世の中でアイツだけが真っ当なんだよ」
「・・・」
「呆れるぐれえ不器用で真っ当なんだ」
土方は、その権化のようなお前が言うなら相当だろうと言う言葉は飲み込んだ。
「月詠の、あの顔の傷のこと、聞いたことある?」
「・・・噂でだが。・・・自分でやったってのはホントか?・・・」
「ああ・・・、俺も日輪さんから聞いた新八たちに聞いたんだがな」
庭先を見つめたままの横顔。その眉間にほんの僅かに、悔しそうに皺が寄る。
「・・で、・・・何でかは聞いた?」
「日輪太夫を守るって?女を捨てるためだとか」
「そうだよ」
「・・・まさか、その言葉に縋ってるわけじゃあるめえ」
「縋るよ」
「あ?」
「縋れるものには縋るよ」
「恥も外聞もなしか?」
「そんなもんなんになる?」
紅い瞳が暗く沈む。
「・・・あいつは俺以外の男の前で女でいる必要はねえ。俺の前でだけ女でいりゃいい。他のやつらには女なんか捨てちまったままでいい。そうでなくたってあれだけの女だ、男がほっとくと思うか?」
『・・・確かに』
土方は言葉にしないまま頷いた。
幼少期からその器量は評判だったに違いない。ただ、不幸だったのはその器量を質草に身を売ることしか生きる術がなかった環境に生まれたことだ。
「幸いなことにあいつは自分自身のことには全く無頓着だ。無自覚も甚だしい。自覚したところで変わらねえだろうが、自覚したらしたで男どもがさらに沸き立つだろうな・・・」
銀時の頭の中に、その光景が浮かんだのか、忌々しそうに舌打ちをしてから、
「・・・考えたくもねえ」
と、吐き捨てるように言った。
「ま、なんにしろ、他人がどう思おうと本人が捨てたと思ってんだ。だったら、そこに縋るしかあるめえ」
「大層な執着だな。・・・で、太夫はそれをご存じなのかい?」
「全く」
零れた笑みは月詠に対してなのか、自身に対してなのか。
「絶滅危惧種並みのおぼこちゃんだからな」
「で、そのおぼこちゃんをさらに真綿おまえさんでくるんで誰も手が出せないようにしようってのかい」
「そんなつもりはねえ」
「は?」
「そんなことしなくても、あいつはあいつのままで誰も手は出せねえさ」
「おい、坂田さん」
「なに?」
「俺はあんたと禅問答をしに来たわけじゃねえんだがな・・・」
「わかんねえ?」
「わかんねえってか、わかりたくもねえ・・・って気持ちになって来たよ」
土方のその言葉を聞いて、銀時はにっと笑った。その笑みに土方の首筋の毛が逆立つ。
攘夷戦争時代、白夜叉と恐れられた男は、戦場いくさばでどんな目をしていたのだろう。この男と対峙すると、ふと頭を擡げる疑問がある。
その答えを見たような気がした。
空になった湯飲みの縁を指でくるくると撫でながら銀時は続ける。
「男がほっとかねえが、並の男の手におえる女じゃねえ」
机についた肘の上に顎をのせて、この男らしいやる気のなさを装ってはいるが、視線は月詠が姿を消した庭の先に固定されたままだ。話している土方の方を見ようともしない。
取り巻く空気がピリピリと震える。まるで世間話のように女の話をしながら、全神経を敵と対峙している月詠のもとに飛ばしている。
離れていても、ほんの僅かな月詠の気配ですら取り零さないとでも言うように。
吉原全域に神経の糸を張り巡らす。
その様は優しく張り巡らされた、揺籃のような蜘蛛の糸。
「それはわかる」
「でしょ?」
庭先に向けていた目がようやくちらりと土方に向いた。涙袋がぷくりとふくれて嬉しそうだ。その表情は自分の女を褒められて素直に喜ぶ平凡な男のそれのようだ。
「あいつを守ってきたのは地雷亜。あいつの師匠だった男だけだ。それをあいつは殺した。俺を守るためにな・・・」
「・・・すげえ女だな」
「だろ?だからだよ」
「?」
「俺にいわせりゃ、自業自得なんだがな。地雷亜の過去なんざ、関係ねえ。師匠と慕わせておいて、前の吉原大火の際にてめえの命と引き換えに弟子を救ったふりをして、ストーカーを決め込んでいた男だ。挙句、てめえの妄想どおりに動かなくなったてんで、姿を現してあいつが一人で守って来たもんを、あいつが信じてきたもんを全て灰にしようとしたクソ野郎だ。月詠に殺されたところで文句の一つも言えねえ」
「・・・」
「それでも、仮にも自分に生きる道を示してくれた師匠だ。普通は少しは躊躇うだろ・・・。あんたならどうする?」
「・・・分からんね。その場に立ってみなけりゃ。想像もつかねえ」
「だろ?男でも躊躇するってもんだ。だが、あの時の月詠には一瞬の躊躇いもなかった。一撃で仕留める。それ以外の意思は全く感じなかった」
「あんたを守るのに必死だったんじゃねえのか?」
「そうかもしれねえ。でも、その後、てめえを裏切った師匠を担いでなんて言ったと思う?」
「・・・さてね」
「なんで言ってくれなかったんだ・・・だとよ。なんでその荷を分けてくれなかった、だと。師匠を背負えるまで成長するのが弟子の勤めなんだと・・・」
「・・・なるほど・・・」
「あいつの行動は今まで一度だって自分の為だった事はねえ。自分の為、なんて理由はねえんだよ。自分を裏切った師匠にすら、そいつを自分の手で殺めようがその堕ちた魂を救いたいという思いが優先する。だったら、あいつは誰が守る?あいつの思いは、あいつの信念は・・・」
「・・・」
「・・・じれったいぐれえ欲がねえ。気がついてもいねえ。自分で自分を犠牲にしてるなんて夢にも思ってねえ。そんな女、耐えられねえし、守れねえよ、巷の男は」
そう思うだろ?と、銀時は上目遣いに土方を見る。土方は肯う意味を込めて目を閉じた。
「だから、いつか、それに気づいたら自分で自分を雁字搦めにして、身悶えして落ちて来るんだよ。待つのさそれを。自分で自分を救えねえことに気づくのを・・・。顔に刃を突き立ててまで守ろうとした日輪はとっくに自由の身だ。吉原も変わっていく。そしたらあいつも変わるしかねぇ。変わったあいつはどこに行く?」
笑いながら両の掌を天に向けて広げる。そこに女を抱きとめるような仕草をして。
「熟れて落ちてくるりんごを地上で口開けてまってる蛇、か・・・」
「そんでかまわねえ」
「最低な上に最悪だな」
「最高の男にも、一番にもなる気もねえ。あいつにとっての唯一でいられればそれでいいんだ、最低だろうと最悪だろうとな」
灰皿の上においた煙草の長い灰が音もなく落ちる。
土方は燃えかけたフィルターを慌てて押し消した。座敷内に焦げ臭い臭いが漂うのを憚って手団扇をはたはたとひらめかせる。
銀時は黙ってその様子を見ていた。
裏の木戸から騒がしい足音が聞こえる。
「銀様っ!」
その一声で銀時の纏っていた空気が変わる。
畳を蹴立てて、縁に出たところで、こけつまろびつ庭に入って来た百華の一人が、息を切らして、銀時に縋りついた。
「銀様、か・・・頭が・・・銀様を呼んで来いと・・・っ!」
「墨屋だな」
「・・はいっ!」
「俺も行こうか」
鍔鳴りの音とともに土方も立ち上がる。
「無用だ」
長い前髪の下で、赤い瞳孔が針先のように収縮する。
口元に歪んだ笑みを浮かべた次の瞬間、白い蜃気楼が部屋の中に漂っていた。
鋒を眼前に突きつけられたような、氷のような戦慄が土方を貫く。
土方は一歩も動けずに敷居の上に突っ立ていた。
所在なげに、広げたままの吉原の見取り図を眺める。
図面の上に展開する月詠の立てた戦略に土方は心底感心する。
___見事なもんだ
土方が修正する隙も与えない捕縛のための配置。
吉原自警団の頭領で吉原を熟知しているとはいえ、所詮そこまで、と、どこかで月詠を侮っていたことに気付かれていないか少々心配になるほどだ。
銀時が一切口を出さなかったのは、月詠の能力を知らしめる計算もあったのかと、忌々しくもある。
『・・・まったく、やりやすいんだか、やりにくいんだか・・・』
と、苦虫を噛み潰したところへ、庭先の板塀の外から月詠の怒鳴り声が聞こえてきた。
耳を欹てると、どんどん近づいてくるのがわかる。銀時の名を連呼して、離せだの下ろせだのと叫んでいる。
ギッと板戸が開いて現れたのは、月詠を肩に担いだ銀時だった。
「おろせっ」
「あ~、もう、お家に着いたから、騒ぐんじゃありません」
「着いたのはわかっとる、だからおろせと言っとるんじゃっ!」
肩の上でギャーギャーと騒ぐのを物ともせず、後に続く百華の部下に向かう。
「悪いけどさあ、日輪さんに言って、氷嚢と薬箱借りてきてくんない?」
「はいっ!」
「悪いね」
百華が姿を消すのを見送り、銀時は庭を突っ切って、縁側に乱暴に月詠を下ろした。
「もっと静かに下ろせぬのかっ!」
板縁に尻がぶつかって痛かったのだろう、下ろせ離せの後は静かに下ろせと来た。
「下ろせとは言われたけど、静かに下ろせとは言われてないけど?それとも何、お姫様みたいに扱って欲しかった?…あ、お姫様抱っこの方が良かったんだ。な~んだ、それならそうとはじめかr・・・ぶべらっ!!」
減らない口を塞ぐように月詠のつま先が、銀時の顎先を捉える。
「・・・んの、アバズレ!そもそもお前が俺を呼んで来いっつったんだろうが!救世主様に助けてもらいたかったんだろうが!」
どうやら、賊は取り押さえたものの月詠が負傷してこの騒ぎらしい。
土方はあっけにとられて、その様子を眺めていた。
銀時は罵りながらも月詠の足元にうずくまり、けがの状態を確認しているようだ。月詠もああだこうだと口では抗ってはいるものの、それ以上の抵抗はしないで、銀時に任せている。
「ほら見ろ、これ!見る間に腫れてきてんじゃねえか、これ」
「・・・っう・・・」
呆れたように事実を突きつけられ、月詠は言葉を呑み込んだ。
「あんな高いヒールで戦闘なんかすっからだ。いつも言ってんだろ・・・」
「こ・・・こんなことは日常茶飯事じゃ、造作もない」
「へえ」
「いっ・・・」
「そら見ろ。強がり言うんじゃありません。銀さん、なんでもお見通しなんだから」
そこへ日輪に託された氷嚢と薬箱を持った部下がドタバタと戻ってきた。
「お、さんきゅ」
「日輪様が」
「ん?」
「なんじゃ?」
「月詠のことは銀さんに任せたから、よろしくしてやってね♡と、仰ってました」
氷嚢と薬箱を手渡しながら日輪の口真似をして言付けを伝える。伝える側の部下たちもどこか楽しそうだ。
「・・・なっ・・・///」
「りょーかい♪」
網タイツを割いて氷嚢を当てる。冷てえぞ、と、心構えを促すことも忘れずに。
氷嚢を足首に縛り付けて患部を冷やしている間に、腕や顔の打撲、擦過傷の手当てをする。
「あ、君たち」
一瞬、手を止めて、手当の様子を浮き浮きと嬉しそうに見守る部下に向き直る。
「さっき、とっ捕まえた奴のこと、土方君に知らせといて」
弱った・・・、と言うほどでもないものの、普段先頭に立って指揮をしている身を他人の手に委ねている場面など部下に見られたくないだろう。銀時の似合わぬ思いやりが見て取れる。
銀時が土方の方を顎でしゃくって、部下の視線を月詠からそらせると、月詠の肩の力が抜けたように見えた。
百華から捕り物の一部始終を聞きながら、時折、縁側に視線を移す。相変わらず、子供のけんかのようなやり取りを繰り広げながら手当てが続く。
が、土方から見るそれは手当ではなかった。
月詠に触れる手、月詠に投げかける眼差し。
おそらく、この場にいるものの中では銀時と土方しかわからないだろう欲がそこに潜む。
大切に扱う、その指先と視線に込められた熱と思い。
見ている方が火照るほどの熱量、眦が赤く染まるほど焦がれる思いがそこにある。
月詠の負傷した足を自分の膝に乗せて、月詠の膝を固定し、足を持って左右、上下に曲げている。どの状態で月詠が一番痛がるのか、確認しながら足首のどこを痛めたかを診ているのだろう。
これは?ここは?月詠の顔を見て、反応を確かめている。
床板に両手をついて、足を預けている月詠は銀時の手の動きに合わせて首を横に振ったり、顔をしかめたりしている。
月詠が一番顔をしかめた箇所を中心に湿布を貼ってきつめに包帯を巻く。ギプスの代わりなのか、脛の上の方までかなりの範囲に包帯を滑らせながら撒くその手がやけに艶めかしく動く。巻いた包帯が緩まぬように下腿を曲げ伸ばしさせるから月詠の着物の裾が乱れ、白い大腿がちらちらと見える。
『・・・おいおい・・・』
土方が思わず腰を浮かしかけたのを察知して、銀時が座敷の奥に座った土方を見据えて、邪魔すんじゃねえ、とばかりににっと笑う。
土方は浮いた尻を座布団の上に戻した。
月詠は包帯がまき終わるや、
「手間をかけさせたな」
両腕を突っ張らせて銀時の膝の上から足を下ろそうとする。
右に動けば縁側から下りねばならず、負傷した足首に負荷がかけられない。左に動こうにも銀時の伸ばした足が妨げる。右にも左にもどちらにも動くことができず戸惑っていると銀時が月詠の腕を掴んで引き寄せる。
「まだだ・・・」
「・・・え?」
「腕も顔も傷だらけじゃねえか」
「・・・こ・・・こんなものはかすり傷じゃ。唾をつけておけば治る」
「あ・・・そう?」
言質を取ったとばかりに銀時が引き寄せた腕の擦過傷に口を寄せてぺろりと舐めた。
「・・・!!!・・・なっ・・・なにを!」
「・・・だって、太夫、唾つけときゃ治るって言ったじゃないですか」
「・・・っぐ・・・」
「銀さんの唾療法が嫌なら、黙って座ってろ」
その一言で黙って座り直す月詠を見て、土方は咥えた煙草を落としそうになった。
___絶滅危惧種並みのおぼこちゃん
その月詠の肌の上を銀時の指が辿る。
薬を塗る、包帯を巻く。
その動作の全てが熾火のように見える。
黒い炭の中で今にも消えそうな、けれど空気を吹き込めば一気に燃え上がる小さな熾火。
傷の深さや体へのダメージを一つ一つ確認する眼差し。
傷は深くないか、痕は残らないか、見た目以上のダメージを負っていないか、触れては月詠の顔を伺う。
銀時の欲を孕んだ眼差し、熱を閉じ込めた指先が月詠の体の上をくまなく通り過ぎる。
当の月詠は、手当以外の銀時の思惑などには考えが及ばないのだろう。言われたまま、おとなしくされるがままに手当てを受けていた。
『・・・なるほど、吉原では奇跡だ』
二人の様子を座敷の奥から観察していた土方は理解した。
男の欲の坩堝の中で成長しながら、その欲に一切触れることなく、汚されることなく大人となった月詠は奇跡そのものだ。
その月詠が無自覚のうちに少しずつ、自分の熱を伝えていく。自分の思いを刷り込んでいく。
銀時はそれを楽しんでいる。
指と視線と、肌にかかるほどの吐息と。
今、月詠に触れられるすべてで銀時は月詠を抱いていた。
銀時は手当てを終えると、立ち上がろうとする月詠を問答無用でひょいッと抱き上げた。
「・・・っぎ!」
「何?・・・お姫様抱っこ、してほしかったんでしょ?」
「だ・・・誰もそんなこと言ってはおらぬ!」
今、茹で上がったばかりのタコのような真っ赤な顔をして銀時の腕の中でじたばたする月詠を打ち合わせの場に戻す。正座はできないから何枚も積んだ座布団の上に月詠を座らせ、
「打ち合わせが途中だろう?さっさとやっちまえ」
と言って、二人に背を向けてゴロンと横になった。
「・・・で・・・では、土方殿、お待たせして申し訳ございんせん。・・・続きを・・・」
一つ咳払いをして、必死で対面を取り繕おうとするが頬の赤みがなかなか引かない。土方は月詠のかわいらしさを認識させられた気分になったが、心底月詠が気の毒でもあった。
___あんたもとんでもねえ男に惚れられたもんだな
fin.