泣かない理由
泣いていいよと月が言った。
けれど、胸元をせり上がる息苦しさと熱さをよそに、涙はいくら待っても零れてもくれやしない。
___あいつがいないから・・・
頭上に響く鈍い回転音が止まり鉄製の扉が左右に開いた。開けた前方へ視線を漂わすと、期せずしてこの地を訪れた目的の人物の姿が視界に飛び込んで来る。
崩れ落ちた街並みの修復作業に精を出す人々の声、金槌や鋸の音が鉄で覆われた街中に反響して、結構な騒ぎだ。
『相変わらず美人ね』
そんな喧騒と思わず咳き込んでしまいそうな埃っぽい空気の中、月詠は変わらない様子で立っていた。
あの戦いの後、誰にも何も告げず姿を消した猿飛が恋い焦がれる男。その男を射止めた整った横顔を眺めて、つい舌打ちとともにそんな言葉が漏れた。もっとも射止めた方も射止められた方も、自覚があるのかないのか、この二人は一体いつの時代の初恋物語だと思うほど、周りをイライラさせるまどろっこしい恋物語を展開している。嫉妬するのもバカバカしくなるほどの純情っぷり、もだもだっぷりだ。猿飛は何処にこのむしゃくしゃをぶつければ、スカッとするのかと、眼鏡の位置を直しながら恋敵の元へ歩み寄った。
少し痩せたのだろうか、日にあたらない生活をしていた彼女の肌は羨ましいほどに白いが、頬に落ちる影が濃くなったような気がする。
『そんなに会わなかったかしら』
考えてみたが瓦礫の山と化した江戸で別れてからどのぐらい経ったのか、今となっては曖昧な答えしか見つからない。頰の影もだが、もともと細い腰もさらに括れたように見える。それほど月日は経ったのか。
『そんなはずないわよね』
真っ直ぐに背筋を伸ばし、煙管を咥え、てきぱきと指示を出す姿は、成る程、女の自分でも見惚れる、とため息交じりに改めてその姿を見つめた。
『美人で遣り手ってどんだけよ・・・』
さらには戦闘となればかの男が背中を預けるほどの存在だ。
美人で仕事ができて、腕が立つ。その上吉原一気のつく女と評価も高い。部下には慕われ、神楽やそよ姫といった年下の女の子には懐かれ、真選組からは一目置かれる。欠点と言えば、色恋や自分のことにはとんとそのよくつく気が回らない、そのことぐらい。
街を歩けば男子のみならず女子も振り替える、ナンパなんぞは茶飯事だが本人は全く相手にしない。というかわかっていない。クールな外観からは想像もつかないおぼこさ。そこがまた可愛くて、ほっとけなくて、あの男の心を掴んだのだろう。そして、その何もかもが計算づくではない。相手の心情もお構いなしに積極果敢にアピールする猿飛が歯が立たないのはいたしかたない。
『あーーー、なんかムカムカしてきた・・・』
来なければ良かったかと、いきなり後悔の念に苛まれるが、猿飛は勢いよく頭を振って、そんな弱気を追い出した。
寂しくて仕方がない。猿飛だとて、やらねばならないことは山ほどある。だが、いくら仕事に没頭しても、いや、すればするほど、頭の中で銀時のいない事実が大きくなる。どこかにぽっかり空いた穴が深くなる。こうして恋敵を訪れたのは、そんな毎日にいたたまれず寂しさやらぶつけどころのない苛立ちやらを分かち合おうという意図があってのことだ。この寂しさを理解できるのはかぶき町に残った新八でもお登勢でもない。月詠以外に誰がいるのだ!と息巻いて吉原を訪ねれば、当の月詠は以前と全く変わらぬ様子で目の前の仕事に集中している。
『ツッキーだって、寂しいに決まってる』
本人が認めようと認めまいと月詠の銀さん大好きオーラはアルタナ並に無尽蔵に無限大で、銀時を思う気持ちは月詠に負けないと自負し、銀時に執拗なストーカー行為を繰り返していた猿飛ですら時には心折れるほどだ。銀時は銀時で月詠のダダ漏れる恋心を、気づいているようでいないようで。いや、銀時が気づかないはずがない。色んなことに実は臆病な銀時にはあの距離感が心地良いのだ。
『っとに、さっさとくっつけばいいのに。』
そうすれば諦めもつく。なのにこの二人は遅々として進まぬ恋を、まるで楽しんでいるかのようだ。ドMの自分に対する何かのプレイかと疑った事もあったが、銀時はともかく、月詠にそんな趣味はない(と、思いたい。)
銀時に酒を断たせるために一芝居打ったり、凸凹教と戦ったり、バンドを組んだり、一度ならず銀時のために行動を共にするのは楽しかった。月詠に対しては、恋敵ではあるが、親友とは言わないまでもお妙や神楽とも違う、同志のような感情を抱いていた。それなのに、銀時がどこへともなく旅立ったと知っても、月詠から猿飛には何の音沙汰もない。水臭いことこの上ない。猿飛は自分たちの繋がりってその程度のものなのかと少々気分を害してもいた。銀時といい、月詠といい、なんでこの二人には自分の気持ちが伝わらないのか、と複雑怪奇に絡み合った念を月詠に向かって送る。当の月詠はと言えば、猿飛のことは視界に入っているはずなのに一向にそちらを気に留める様子はない。猿飛は業を煮やして月詠に向かって声を張り上げた。
『精が出るわね』
月詠は声の主をちらりと確認して、特段驚くでもなく、ああ、猿飛か、と一言、煙とともに吐き出しただけで、そのクールな容貌を崩しもしない。これにもカチンと来る。
『挨拶はそれだけ?』
猿飛に一瞥をくれ、何事もなかったかのように仕事を続ける月詠に皮肉混じりに話しかければ、ああ、すまぬ、何か約束でもしていたか?と質問に質問で返される。
『約束してなきゃ、友達の顔を見にきちゃダメなのかしら?・・・流石10位よね。10位の人は違うわね。』
喧嘩をしに来た訳ではないのにと心の中で呟きつつ、猿飛は腕組みをして月詠の前にずいっと迫る。
綺麗どころがわんさといる吉原でも金色と薄紫の髪の妙齢の美女二人が並び立つ光景はなかなかの見ものだ。しかし、その二人の間に漂う空気は復旧に精を出す人たちの手を止めるのに十分な程不遜だった。月詠の指示のもと、作業にいそしむ吉原の住人の好奇のまなざしが美女二人の上に注がれる。それを避けるように月詠は漸く、猿飛に顔を向けた。
「元気そうじゃの」
フッと煙を吐き出すと、一言。で、なんの用じゃ?と顔に。
『あなたも元気そうね。寂しがってるんじゃないかと心配してきたけど、大きなお世話だったかしら?』
「寂しがる?なんでじゃ?」
案の定な答えに今度は猿飛が息を吐く。
不愛想、殺風景
銀時の言葉を思いだし、それにコロッといってたのは誰よ?と、恨み言の矛先が変わるが、今、ここでそんな恨みつらみを募らせたところで何も始まりはしない。
『銀さんが姿を消してあなたが寂しくて泣いてるんじゃないかと心配して来てあげたんじゃないの。』
深く息を吸って、心を落ち着けて、吉原を訪れた理由をこの分からんちんに丁寧に説明すれば、てっきり、何でわっちが寂しがるんじゃ!と噛みついてくるかと思えば、月詠はああ、その事かとでも言いたげに小さな息を落とした。それだけで月詠のダメージはわかる。なのに弱音ひとつ吐かないところが可愛くない。そこが月詠の月詠たる所以だとわかっていても、だ。
『いいわ。あなたが寂しくないっていうなら私の寂しさを間明わすのに付き合ってもらうから。』
腕組みしたまま、胸をそらしてそう宣言すると、月詠は厄介な、と言わんばかりに、眉を寄せた。が、そんなささやかな抵抗で引いていく相手ではない。どや顔で月詠に対峙する猿飛にそれとわかるようにため息をついても猿飛のHPは減らない。月詠は諦めたように肩を落とすとひのやで待っておれ、と背を向けた。
『元気にしてたかい?』
『どうも、ごぶさたしています。』
床几の上に置かれた湯飲みに手を伸ばし、猿飛は主人の日輪にこくんと頭を下げた。本当にね、と年齢不詳の吉原の太陽が辺りを見渡しながら月詠には会えたかい?と尋ねる。
『来る時に会いました。相変わらず、仕事の虫ですね。』
元々、頑固な子だからね。ちょっとやそっとのことじゃ、変わりゃしないよ。・・・とか噂をすればなんとやらだ』
銀時の不在はちょっとやそっとのことではないと思うが、そんなところに突っ込んでも仕方ない。日輪の視線を追って振り返ると通りの先にほっそりとした藍色の影が揺らめいていた。
『ツッキー、痩せました?』
通りの先を見つめたまま、猿飛はついさっき、月詠に抱いた疑問を日輪にぶつける。
『小さな子じゃあるまいし、食べさせてやるわけにはいかないからねぇ・・・』
背後にこぼれる日輪の細い吐息が猿飛の疑問への答えである。
『ほら、やっぱり。強がっちゃって・・・』
復旧作業が撒き散らす砂塵のお陰か、吉原の街中は白い靄が立ち込めたような状態だ。その靄の中を藍色の影がゆったりと優雅に近づいてくる。遠目で見るからか、さっきよりさらに細く感じる。店先で何やら話し込んでいる様子の二人に向かい怪訝そうに小首を傾げる仕草がこれまた可愛い。童女のような可憐さと言ってもいい。月詠が纏う怜悧な空気とは真逆のそれが銀時の恋心をそそるのだろう。
『ふん!銀さんには庶民派の私の方がお似合いなんだからね!』
まさかそんな風に見られているとは思いもしない月詠が店先でゆったりと歩を止める。
「待たせたな」
猿飛はごちそうさまっと急須を置くと、床几から飛び上がるように立ち上がって、月詠の腕を絡めとり、じゃ、行こうかと、今しがた歩いて来た方向へ戻るように腕を引いた。
「ちょ・・・、行くってどこへ・・・?」
『あら、私の話、聞いてなかったの?私の憂さ晴らしに付き合ってもらうって言ったじゃない。じゃあ、日輪さん、ツッキー、お借りしますね。』
日輪に一つウィンクを寄こし、にやりと笑って戸惑う月詠の背中を押す。
「ひ・・・日輪?」
有無をも言わせない勢いに目を白黒させながら日輪に助けを求めると、猿飛の肩越しに見た日輪はにこにこと嬉しそうに手を振っていた。
『ツッキーはあ、寂しくないの~~~?』
付き合えと言うのでしぶしぶついて来てみれば、たどり着いたのはかぶき町。あの戦いのせいでほぼ壊滅状態だったかぶき町だが、その中で狂死郎の店・高天原はいち早く営業を再開していた。挨拶もそこそこに赤いソファに腰を落ち着けると、猿飛はホストたちですら慌てふためく勢いでグラスを空け、愚痴り、一人さっさと出来上がった。顔や首どころか全身真っ赤で、両横に座る月詠や狂死郎、テーブルにまで絡みついて、銀時不在の寂しさを訴える。御庭番衆ともあろうものが前後不覚になるほど酔っ払うとはいかがなものか、という月詠の困惑をよそに猿飛の愚痴は鮮度の落ちた卵の白身の如くとめどなく広がり続ける。
『ねえ、ツッキーってばあ・・・・・』
「なんじゃ?」
『寂しくないの?悔しくない?』
また、それか。
今日何度その問いを投げかけられただろう。寂しいと言ったところで、帰って来るものでもなし、月詠はそろそろうんざりじゃ、という表情を露骨に顔に貼り付けた。
『・・・っとにかわいくないわね!これは人気投票とはわけが違うのよ。わっちは興味がない、なんてスカしたこと言わせないんだからね!銀さん、いなくて寂しいでしょ?挨拶一つなしで行方をくらまされて悔しいでしょ?』
「寂しいとか、悔しいとかはよくわからぬ。」
『はあ?何よ、かまととぶっちゃってっ!』
「いや、そこはかまとと関係ないし・・・」
『ツッキー、あなた、まさか』
「・・・な、なんじゃ?」
『あなた、まさか、銀さんの居所、知ってるんじゃないでしょうね!あなたにだけ行く先知らせたとかじゃないでしょうね!』
ふ、とよぎった疑問がおどろおどろしい雲となって湧き上がる。
「そんなわけあるか!わっちはなんにも知らぬ。」
濡れ衣としか思えない、何の根拠もない疑惑を空のグラスと一緒に突き付けられて月詠は慌てて猿飛を両手で押し戻した。
正直なところ、猿飛の言う寂しい、悔しいという感情がない訳ではない。けれど、一番寂しい思いをしているのは、他の誰でもない、本人たちだ。あの万事屋がばらばらになり、それぞれが己がなすべきことをのために一人頑張っている。神楽は定春を元に戻す方法をさがして、広大な宇宙を彷徨っている。新八はかぶき町で万事屋を、神楽と銀時が帰るべき場所を守っている。その元主はどこで何をしているのか、皆目見当もつかないが、誰にも何も知らせずに何処へともなく旅立ったことで自ずと知れる。
___それがわかっていたらわっちはどうしたかのう
それが月詠の頭から離れないことの一つであることは事実だった。
銀時が何を考えていたか、何をしなければならなかったのか、もし、猿飛の言うとおり、銀時が月詠に話してくれていたら。それが自分一人じゃなかったとしても、それを知っていたら・・・。
自分はどうしたのか・・・、やはり、分からない。
たまに会って、隣で煙管を燻らす。そして、毒煙を銀時に吹き掛ける。すると、銀時は青筋を立てて月詠にアバズレだ、なんだと悪態を吐く。月詠はそれを笑って聞き流す。それで十分だった。銀時を独占する気も、束縛する気も月詠にはない。たまにそうやって、他愛もない言葉を交わして、笑いあえれば、それで。
それなのに、最大の災厄が去った今となって、そんなささやかなことすら叶わない。叶わないと実感した途端、月詠の中で何かが弾けた。銀時が吉原を訪れない日常が、一日、一日と積み重なっていく。そのうち気まぐれにふらりと姿を現すだろうという淡い期待も持てない現実が会いたい気持ちを募せる。人間とは、女とはかくも身勝手な生き物かと自分の中で頭をもたげる感情を持て余し、嫌悪感さえ湧き上がってくる。
だが、それ以上に一人で旅だった銀時の決意が悲しかった。
一度、なにもかも手放した男が再び背負った荷。それが銀時にとってどれだけ大事な存在ものだったか。日輪や百華があった月詠には痛いほどに分かっていた。ずっと一人だった銀時。だからこそ、新八の、神楽の、定春の存在が銀時にとってどれほどのものか、どれほど大切な存在か。
それを思うと、心臓がきりきりと痛む。
痛くて、痛くて仕方がないが不思議と涙は出てこない。
___哀しい。
いつまでも、どこまでも孤独な銀時が哀しい。
寄り添えない自分が哀しい。
グダグダとくだを巻き続ける猿飛の気持ちも分からないではない。銀時への好意を包みも隠しもしない彼女は、本当に銀時の不在が寂しくて、月詠同様、幾度となく銀時とともに戦った経験から彼のことが心配で不安で仕方がないのだろう。きらりと光る眼鏡の下で血走った眼が不安に揺れているのは月詠にも痛いほど分かる。だが、やはり、寂しい、と、猿飛のように素直に口にすることは月詠には到底できそうもない。
「・・・寂しいとかはありんせん。寂しいのは他ならぬ銀時達であろう。三人ともなすべきことのために一人で頑張っている。家族や仲間と共に居られるわっちが寂しがっているわけにはいかぬ。」
カランと音を立てて氷が解けるウーロン茶のグラスを手の中で回し、月詠は猿飛に向かってぽつりと告げた。
『はい~は~~~~~いぃぃぃ。出た出た、出ましたよーーー!分別発言、ツッキーの十八番。っホンっと~~~、イイコぶっちゃって!アンタのそんなところがムカつくのよ。嫌なのよ!』
「いや、別にわっちは好いてもらおうなどとは・・・」
『か~~~~~っ!凄いよね、かっこいいよね!望まなくても勝手にファンが10位に押し上げてくれるってか?流石よね。そこら辺が10位の余裕よね!』
「何が言いたいんじゃ?それと銀時がいないことと何の関係が・・・」
『ないわよ!あるわけないじゃない、バッカじゃないの?あんたが素直に寂しいって言わないからでしょ?ホントは寂しいんでしょ?寂しくて仕方ないんでしょ?寂しくないはずないじゃない。正直に言いなさいよ、寂しいって!言え、このやろ~~~~~!』
真っ赤に染まった顔をさらに上気させて、口から泡を飛ばさんばかりに、明らかに酔っぱらいの破綻した理論で月詠を責め立てる。見かねた狂死郎がまあ、まあと中を割って入れば、狂死郎の胸ぐらを掴んであなたからも言ってやって頂戴!と絡み始める。猿飛の口撃を上手~くかわす狂死郎に月詠はこっそりとひとつ頼まれてほしいと耳打ちをした。
「足労かけてすまぬ。」
階段の上、案内係に伴われて姿、猿飛の迎えを頼んだ男が現れた。月詠の肩に手をまわし、相変わらず彼女に文句を吐き続ける猿飛を無理やり自分から引きはがし、狂死郎に預けると、小走りで階段に向かい、全蔵が下りてくるのを待ち構えた。
『まあ、ジャンプ買うついでだったからいいけどよ・・・』
全蔵が月詠の肩越しにボックス席を見やると相変わらず狂四郎の胸の中で喚き散らす猿飛に手団扇で風を送りながら、困ったように眉を下げた狂四郎と視線が合った。
『ありゃ、相当出来上がってるなぁ。おめえさんこそ、酔っぱらいのお守りご苦労さん。』
「かまわぬ。」
全蔵は月詠の肩にポンっと手をかけ、ボックス席に歩み寄ると猿飛の隣にドカッと腰を下ろした。テーブルの上の空になった酒瓶を掴み、しげしげとラベルを確認する。
『上等な酒飲んでんじゃねーか』
瓶の底にわずかに残った滴を舌の上に垂らす。その姿を見とがめた猿飛が全蔵に頬に指を突き立てた。
『あ!ぜんぞーだーーー!なんで、あんたがここにいるのよ?何しにきたの?』
『・・・ってぇな。おめえのせいだろうが!これ以上、吉原のねーちゃんに面倒かけるな。』
『ふん、全蔵のくせに!エラそーなこと言ってんじゃないわよ。』
『なにが、全蔵のくせにだ!どういう扱いだ!』
『なんであんたなのよ!』
『なにがだよ』
『なっんれ、銀さんじゃないのよ!』
『あーあー悪かったよ。』
『銀さん、どこいっちゃったのよ!・・・分かったわ、さっちゃんが寂しがるのをどこかで見てるんでしょ?焦らしてるのよねっ!焦らしプレイよね?だったら、大成功よ!さっちゃんは寂しがってまーーーーす!寂しくって悶え死にそうでーす!だから、帰って来てよーーー!銀さ~~~~~・・・zzzzzz』
言い終わらぬうち、全身の力が抜けた猿飛が背後の狂四郎に向かって倒れこむ。おおっ、と、声を上げて狂四郎がソファから転げ落ちないよう猿飛を抱きとめる。指の先まで真っ赤に染まった猿飛は狂四郎の膝の上で小さな鼾を立て始めた。
『言いたいこと言ったら、おねんねかヨ。ほれ、帰るぞ』
『Zzzzz』
『・・・ったく。いい気なもんだ、アンタもとんだとばっちりだったな。』
ぐったりと力が抜け、いっそ小気味よいぐらいの寝息を立てる猿飛を狂四郎からもらい受けると、その腕を自分の肩に回しながら、ソファの傍に立つ月詠に向かって、にっと笑う。
「いや、わっちは真っ正直に吐き出してくれた方が良い・・・」
『え?』
厚い前髪のせいで彼の目は見られない。前髪の下で、きっと、目を見開いて、月詠を凝視しているに違いないことがその声で分かる。
「わっちはそういうことがあまり得意ではないゆえ、猿飛みたいにぶっちゃけてくれると逆に楽でありんす。」
『あきれた苦労性だな。』
「そうかの。わっちには分かりんせん。辛いのはみんな一緒じゃ。ただ、少しでも気持ちが晴れるなら、楽になるならと思うだけじゃ。」
___あんたはそんな女だったな。
信じていた師に欺かれたと知った時もそうだった。手塩にかけた愛弟子がひたすら一人で守って来たものを奪おうとした男の、彼女に対する歪んだ愛情や執着に、その真意に触れた時も。他人を思い、他人の苦しみを我がことのように受け止め、その中で己を貫き通すのが、その人を苦しみの沼から救おうとするのが月詠なのだ。それは決して滅私などではない。
信じた師に欺かれても、共に歩んだ友が道を過っても、恋した男に去られても、月詠はそれを責めるどころか、彼らの心の奥底に住まう昏い孤独を受け入れ寄り添える女なのだ。
寂しさはそれぞれにある。だが、少なくとも新八は別れを告げられた。それすらなかったから猿飛がこんなにも荒れる訳で、同様の月詠の本心も平らかでないことは想像に難くない。
彼女には彼女なりに思うところもあり、今を頑張っているのだろう。元来、責任感は人一倍強い女だ。だが、一人の男を本当に大事に、頭が下がるほど大事に想う、ごくごく普通の恋する女でもある。
『まあ、その相手がいないことには話しにゃなんねぇが。』
「え?」
『・・・やれやれ、こんなに女を悲しませても許されるほど、てめえがいい男だとでも思ってんのかねぇ、あのヤローは? 』
肩からずり落ちかけた猿飛を抱え直し、全蔵は深い息をついた。
『なあ』
「なんじゃ?」
『・・・奴が帰ってきたら、ジャーマンスープレックスでも決めて思いっきり泣いてやんな。』
銀時への皮肉も込めた全蔵の言葉に返されたのは今にも崩れそうな笑顔。頬に残る一筋の傷がまるで涙のあとのようだ。
『その時は見物したいから呼んでくれよな。それまではこいつの不細工な泣きっ面で勘弁しといてやるよ。』
背負った猿飛の涙でガビガビになった顔を親指で指して全蔵の口許がニヤリと歪む。
「そうじゃな。そんな時が来たならまた連絡させてもらう。」
『楽しみにしてるぜ。』
月詠は、すやすやと心地よさそうな寝息を立てる猿飛に悪態をつきながら、階段の向こうに姿を消す全蔵の背中を見送った。
送るという、狂死郎の申し出を風にあたりたいと断って、月詠は一人かぶき町を歩いた。崩れたままのビルや壁が吹き飛んだ店舗、ぐにゃりと曲がった電柱が月詠の足元に黒々と影を落とす。
スナックお登勢の二階。新八が一人で修理した万事屋の見事な継ぎ接ぎの様をまばゆいばかりの月光が照らす。
万事屋の屋根に掛かる大きな満月。
捕らわれた蜘蛛の巣から解き放たれたのもこんな夜だった。丸くて大きな銀色の月が銀時の背中越しに煌煌と輝いていた。
通りの向かいの細い路地に立ち、灯りの消えた万事屋を見つめる月詠の鼻に鈍い刺激が走る。その痛みを紛らわすように月詠は煙管を口に含み、月に向かって細く煙を吐き出した。
「ぬしもどこかでこの月を見ておるのか?」
街灯りがすっかり消えたかぶき町の空に月と煙だけがただ白い。思わず零れた問いに返される答えがあるはずもなく、月詠は届かない声を探るかのように目を閉じる。
お前が醜いツラで泣き喚いてる時は、俺がそれ以上汚ねえ顔で泣いてやる。
腹抱えて笑ってる時はそれ以上でけぇ声で笑ってやる。
___なんぞと大見得を切ったおったのう・・・。
のう銀時・・・
___そのぬしがおらぬでは泣きも笑いもできんせん。
fin.